感謝!東京マラソン

東京マラソン、参加してきました。素晴らしい大会でした。スムーズな大会運営、あたたかいボランティア、途切れない沿道の声援、この東京マラソンに関わった皆様に心より感謝しています。本当にありがとうございます。

結果は無事完走、スプリットタイム4時間10分1秒、ネットタイム4時間5分12秒でした。

シンスプリントになってから練習をしていませんでしたが、東京マラソンに当選して10月1日から練習を再開しました。練習開始から本番まで紆余曲折、色々あったのですが、結果的にとても良い経験ができました。

応援してくれた皆様のおかげで力をもらいました。どうもありがとうございました。

以上、報告とさせていただきます。

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以下、乱文が続きますので、お暇な方か、鷹揚な方は目を通していただければ幸いです。

昨年はランニングに関しては故障の多い1年でした。足関節の違和感、シンスプリントとなり、10月の練習再開後は左膝内側の痛みが出ましたが一週間ほど練習中断するとまた走れるようになりました。このころからiPhoneアプリのMY ASICSの練習スケジュールに沿って練習するようになり、無理せず、徐々に走るようになりました。

12月中旬までは順調に練習できたのですが、家族(親)の入院があり、1月中旬までは思うように練習ができませんでした。1週間以上走らないということも2回ほどあり、ある程度調子が上がってきてもまた戻ってしまいます。焦る気持ちの反面、これも何かの試練なのだと自分に言い聞かせました。1月23日、中12日空いて走ったときに全くペースがあがらず、その後2回目くらいで、今度は右踵内側が痛くなって走れなくなりました。背中の痛みも出て、大会まで1ヶ月となっていましたが、こういう時は走らないで早く治そうと練習はやめました。それでも痛みが引くまで3週間かかりました。

家族からは「止めたほうがいいんじゃない」、「無理だろう」などと言われましたが、10倍の確立で当選して参加資格をもらったのに落選した方に申し訳ない気持ちもあり、また友人の冨森さんから「とにかくスタート地点に立つように無理しないで」とアドバイスをしてもらっていたので、私も「完走できなくてもスタート地点には絶対に立ちたい」、と強く思っていました。

大会前の月曜日に22日ぶりの練習では、ほとんど痛みを感じずに9キロ走れましたが、中2日空けて木曜日の練習では踵に痛みが出て6キロで練習中止、「これはヤバイなっ!」と不安いっぱいで本番を待つだけとなりました。「10キロ走れるかな?」、「痛みが出たらおしまいだ」、「浅草まではいきたいな」、「何とか関門をクリアして這ってでもゴールしたい」などと不安と希望が入り混じって本番を迎えました。

一応2日前からカーボローディングをし、大会前夜はエントリーのときにサンプルでもらったファイテンのパワーテープを痛くなる3箇所の左膝、右踵、右足関節の少し上に張りました。そして今まで痛かったところ、危なそうなところにキネシオを貼り、結果膝から下はほとんどキネシオだらけになり、幅5cm-5mを1巻使ってしまいました。

いよいよ大会当日、気持ちは高揚してました。スタート地点に立てただけで嬉しくてスタートラインでは猪瀬知事が手を振っていたので、私も感謝の気持ちをこめて手を振りました。他のランナーの流れに乗りつつ抑え気味に走っていましたが5km過ぎても足の痛みが出てきません。「もしかしたら行けるかも?」と期待し、9キロ過ぎに一度トイレにより、「これでゴールまではトイレに行かなくて済むな、よしっ!!」と気持ちのスイッチが入りました。

30キロまでは序盤、35キロまでが中盤、そこからゴールまでは惰性でいければと思い、頭の中で「30キロまでは序盤」と言い聞かせて無理せず走りました。「銀座に来れたー」、「浅草までなんとか来れたー」とまさかの展開に嬉しくなり、30キロからは「中盤だ。ここで中だるみするから押していこう」と思い頑張りました。中盤は中だるみするというのは、もう25年くらい前に今は無き日産スポーツプラザのトライアスロンスイミングスクールに行っていたときに、1500メートルタイムトライアルで何度も経験していたのと同じ感覚なので、そこでの経験が湧き出てきたためです。

35キロからは、体力もいっぱいいっぱいでした。「走りこみができていないからしょうがないな」と思いながら、歩きたいと思いながらも、沿道の声援に支えられつつ、一緒に走っているランナーの方たちの頑張りにも刺激されながら惰性で走りました。38-39キロはこのように元気な体に生んでくれた両親への感謝として、39-40キロはレースまで支えてくれた家族への感謝として、40-41キロは大会前日まで気にかけてメールでアドバイスをいっぱいしてくれた冨森さんへの感謝として、41キロ-ゴールまでは自分のためなどと思い、つらい気持ちをごまかしながら何とかゴールまで走り通すことができました。結果は平凡なものですが今の私にとっては出来過ぎでした。でも次があったらもっとできるかもしれない、という自分への期待も生まれました。

28歳で病気になり、もうこのように走れるなんて夢にも思っていなかったのですが、今回のようにフルマラソン完走が達成できたことに自分でも驚いています。元をたどればサラリーマン時代同期入社の菅谷君が「病院を変えたほうがいい、もう一度検査をして治療するように」と私の実家の親にまで電話してくれたおかげで、私も病院を変えて積極的に治療するようになったからです。今更ながら本当にありがとう。

東京マラソンは本当に良い大会です。機会がありましたらぜひ参加してみてください。

ここまで読んでくださった方は稀な方ですね。感謝!

以上

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